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2015年12月21日 (月)

「良い人生だった」と言った父

冬らしく寒い朝でしたが、週の始め学校へ仕事へと皆出払っちゃいました。

静かですhappy01



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父は婿養子で母と結婚した。

半農半漁の貧しい家でしたが祖父は優しかったらしい。

肩身の狭い婿養子である父を男として庇い見守っていたと聞いたことが有る。

そんな祖父は姉が生まれてすぐ亡くなったので、私は写真でしか見た事が無い。



父は漁師の仕事をしたり、畑仕事をしたり、とっても苦労していたようだったが、

私達がまだ小さい頃遠洋漁業の漁船に乗り、何か月も家を空ける生活になり

お酒を覚え、家に帰ってくると飲んでは暴れるようになった。



相手は一人娘で子供の私達から見ても我儘だった母。

母は喧嘩をすると泣いて近くの海岸に逃げたが、毎回私達姉弟は母を迎に行っていた。




私達が少し大きくなると、その矛先が私達にも向いた。

子供だからと容赦もせず殴る蹴るの暴行を受けたが、母は庇ってはくれなかった。



私達子供はそんな時も何時かは終わると我慢をしていたし、

痛さは感じなかったが、悔しさと憎しみだけが残った。

その頃はもう母を海に迎えに行く事はしなかった。



その後何度も喧嘩をしていた父と母だったが、喧嘩の原因が何かは子供の私達には

知る由も無いが、母の我儘も原因だった事が大きくなって解った。

貧乏だったけど一人娘で大事に育てられた母は、私達から見ても我儘だった気がする。




家を出られる歳になった私達姉妹は家を離れ年に一度くらいしか帰らなかったけど、

孫も大きくなって私達もお婆ちゃんと呼ばれる年代になった頃はもう父も歳のせいかお酒

に溺れる事は無くなって優しいお爺ちゃんになっていた。


そんな頃、父が癌を患った。



父が入院中私の従兄と楽しそうに話をしていた。

「俺は今までやりたい事もやった、良い人生だったよ」とまるでドラマのセリフのように満足

したように話をしていた。


それを聞いた時、婿養子として我慢を強いられ、我儘な妻と別れることも出来ず、酒に溺

れていた父だったが、それでも男として家を建て自分の居場所を作り、満足していた父に、

「そりゃ、やりたいようにやったんだから満足でしょうよ」と同時に「良かった」と思った自分

に驚いた。



その後父は頑張り切れずに74歳で亡くなったが、もう昔の殴られた痛さも、鬼のような目

も私の頭の中で薄れている。

今では息子たちにとって、優しいお爺ちゃんの面影しか残っていない。

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父のようなお酒に飲まれるような人とは結婚しないと思っていた。

オットは父と同じだった・・・。


 

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家族」カテゴリの記事

コメント

親への想いは特別なものがありますね。
他人なら嫌いになったら付き合わなければいいけど、肉親だとそうはいかない。
いつもどこか心の片隅に居座っていて、ふとした折りに感情を揺さぶる…。

時間の経過は思い出を円やかなものに変えていくのでしょうね。

☆バルおばさん☆

船乗りだったので帰ってくると子供心に嬉しい反面、お酒を飲んでは暴れる父が嫌いでした。
自分が大人になって思う事は、お酒に溺れるのには、それには何かしらの理由が有るのかもと思ったりします。
今は嫌な事は忘れている方が多くて、良い思いでしか残っていません。
良いお爺ちゃんだったしねcoldsweats01

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